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2024.4.10

[新人弁護士インタビュー]弁護士 武藤雅之

―子どものころはどんな感じでしたか?

武藤 生まれは神奈川県の平塚市です。子ども時代は外を走り回るのが好きで、木登りしたりアスレチックで遊んだり。外で活発に遊ぶタイプでした。身体を動かすことが大好きでしたね。中学高校と剣道をやっていました。当時は警察官になりたいと思ってのこと。通っていた中学には柔道部がなく、ならば武道として剣道かなといった感じで入部しました。

―法律家を目指すきっかけは?

武藤 中学生の時に、木村拓哉さん主演のテレビドラマ『HERO』を見ていて、「法律家ってかっこいいな」と思ったのがきっかけです。なので、将来は法学部に入って、司法試験を受けて、ということができる進路を目指しました。難易度的に入れそうな学校の法学部で、かつ資格取得のサポートが手厚いとアピールしていた大学を志望しました。実家に割と近かったことも理由のひとつです。

―学生時代はどうでしたか?

武藤 学生時代はマーチングバンドをやっていました。ダンスをしながらパフォーマンスをするタイプのものです。2年間びっしり取り組みました。幸運にも1年生の時に全国大会に出場することができ、4位入賞もできました。後半の2年間は、法科大学院に入ろうと決めていたので、その試験合格を目標に勉強していました。

―ロースクール時代は?

武藤 3年制の法科大学院では、課題を多く与えられていたのでアルバイトもできないほど。勉強1本で過ごしていました。学生寮に入って、1日10時間くらい課題をこなす日々を過ごしていました。

―司法試験はどうでしたか?

武藤 わたしは5回目の試験で合格しました。コンビニでのアルバイトや2つの会社で非正規として働きながらの浪人時代。一番苦しかったのは3回目の受験の時ですかね。2回目に落ちた時はとてもショックで、その精神的に落ち込んだ状態で3回目を受けるというところが苦しかったです。この時はもう「あきらめようにも、あきらめきれない」といった前にも後ろにも進めない状況。20歳代も後半にさしかかり、希望を見出せない中、試験勉強をしなくてはならない状態はつらかったです。

―晴れて合格、どうでしたか?

武藤 実はこの年の試験はとても難しく「落ちたかな」と思っていました。なので、合格掲示板には見に行かずに、ネットで発表を見ることにしていました。パソコンの画面に自分の受験番号を見つけた時は、よくわからないくらい見直して(笑)。その後、夜中、母親と法務省に行って自分の受験番号が載る掲示板を見に行き、初めて実感がわきました。

―なぜ、裁判所へ勤務?

武藤 国家公務員試験も併願しており、合格しました。公務員になれるチャンスは、この後もう人生ではないなと思い、1回は経験してみようと思いました。弁護士はこの経験の後でも遅くはないなと思っての進路でした。公務員は総合職として、四国管轄の配属になりました。裁判所事務官(高松)と裁判所書記官(松山)として働きました。3年間の公務員生活でした。

―その後は弁護士に?

武藤 裁判所での書記官を経験した後は、さあ、弁護士だと。司法修習は大阪で行いました。やはり、都会は刺激があっていいなあと(笑)。東京はもともと知り合いも多いし、文化圏としてもいいなと思い、東京で働くことを決めていました。当事務所は『ひまわり求人求職ナビ』というウェブサイトで発見。立地が都心にあるということ。アクセスがいいこと。規模も大きすぎず、自分が成長できる環境にあると思えました。企業法務をメインとし、取り扱う業界的にもバランスが良かった部分に惹かれました。面接の際、先輩弁護士がとても魅力的で、かつ親近感を感じたことが決め手でした。

―職場には慣れましたか?

武藤 はい、おかげさまでだいぶ、慣れてきました。

―休日はどんなことを?

武藤 都内で一人暮らしをしています。休日はクロスバイクに乗って出かけたり、山に登ったりして気分転換をしています。

―将来の目標はどんなこと?

武藤 まずは短期的には、弁護士としての基礎を身に付けたいと思っています。将来のありたい弁護士像を模索し確立します。中長期的には自分の得意分野を確立して、依頼者をしっかりサポートできるような弁護士になりたいと思っています。

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