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【旬の判例】~第29回 「医療法人A病院事件」

第29回は、「医療法人A病院事件」です。

退職勧奨後の退職合意の成否が問題となった事案であり、第一審と控訴審とで判断が逆転した事案です。第一審では、労働者からの退職の意思表示について、当該労働者が退職の確定的な意思表示をしたと評価することは困難であるとして、退職合意が成立していないとの判断がなされたのに対し、控訴審では、退職合意が成立しているとの判断がなされました。

まず、前提として、退職勧奨とは、使用者が労働者に対し、自発的に退職するように促す行為のことを指します。退職勧奨について、労働者の自由な意思を尊重する態様で行われる必要があり、この点が守られている限り、使用者はこれを自由に行うことができます。もっとも、退職勧奨について、使用者が労働者に対し執拗に辞職を求める等、労働者の自由な意思の形成を妨げるような態様で行われた場合、使用者側が損害賠償責任を負う可能性が考えられます(なお、本件ではこの点は特段問題となっていません。)。また、この場合、労働者の退職の意思表示について、強迫や錯誤等による取消の主張がなされる可能性があります。
そして、裁判所は、労働者の退職の意思表示について、当該意思表示が労働者にとって重要な意思決定であることに鑑み、退職の確定的な意思表示があったといえるかどうかを慎重に検討する傾向にあります。

本件では、Y法人が従業員のXさんに対し、Xさんによる情報漏洩疑惑や他病院への誹謗中傷行為等の非違行為を理由に厳しい処分を検討している旨、Xさんが自主退職するのであれば、Xさんに対して処分をしない旨を述べて退職勧奨を行いました。これに対し、Xさんは、後日、非違行為の一部についてY法人に事実誤認がある旨回答したものの、Y法人に対し、自主退職をする旨回答し、Y法人がこれを応諾しました。しかしながら、Xさんは、その後、⑴Xさんの自主退職の申出について、法的な拘束力を伴う確定的な意思表示と評価することはできないとして、退職合意の成立を争うと主張するとともに、⑵Y法人から強迫を受けたことにより退職の意思表示をしたとして、退職の意思表示を取り消すと主張して、XさんがY法人の労働契約上の権利を有する地位にあることの確認訴訟等を提起しました。

第一審は、Y法人の退職勧奨及びXさんの退職の意思表示について、XさんがY法人が指摘する非違行為について処分を受けることに思いを巡らせ、衝動的に退職する旨を述べた可能性が考えられるなどとして、Xさんの退職する旨の発言について、退職の確定的な意思表示をしたと評価することは困難であると判断し、Xさんの請求を認容しました。

これに対し、控訴審は、①Y法人がXさんに対し、退職勧奨の3日後にXさんの意向を回答するよう求めた事実、②Xさんが退職勧奨の3日後に行われた面談において、Y法人の従業員2名に対して1時間にわたって弁明を行った後、Xさんの上司に対する不満を述べた上、そのような上司の下で働く気はないから退職すると繰り返し述べた事実を踏まえると、Xさんの退職する旨の発言が、Y法人からの圧力に抗しきれずに意に反して退職の意思表示を行ったとは認めがたい。また、当該事実関係に照らし、Xさんが精神的に動揺した中で衝動的に退職の意思表示をしたとも認めがたいと判断しました。
また、③Xさんが②の面談時に有給休暇を全て取得したいと述べ、有給休暇を全て取得した場合の退職日がいつになるかを確認した事実、職場にあるXさんの私物を持ち帰る時期を述べ、Y法人がその旨を上司に伝えると回答し、これに対してXさんが異議を述べなかった事実、⑤退職後の健康保険の取扱いについての確認をした事実等を踏まえ、Xさんが、Y法人を退職することについて、Y法人内で広く知られることを容認していたことが窺われると判断しました。
そして、⑥Xさんが②の面談の後、Y法人にある私物を持ち帰るとともに、デスクや更衣室ロッカーのカギを返却し、Y法人のネットワーク上に存在した、Xさんの名前が付されたフォルダ内のデータを全て削除した事実を踏まえ、Xさんが確定的な退職の意思を有していなければ通常行わないはずの行動を取っていると判断しました。
裁判所は、上記に加えて、⑦Xさんが⑥の対応後、Y法人に出勤していない事実等を踏まえ、Xさんの退職の意思表示について、確定的な退職の意思に基づいてなされたものであると判断しました(⑴のXさんの主張を否定)。

また、⑵の強迫の主張についても、Y法人が多人数でXさんを威圧したりしておらず、Y法人がXさんを長時間に亘って詰問したり、大声で退職を迫ったり、繰り返し退職を迫るようなこともなく、むしろXさんの方が自身の見解を長時間にわたって述べており(②)、強迫の事実があったことは認められないと判断しました(⑵のXさんの主張も否定)。

よって、裁判所は、XさんとY法人との間で退職合意が有効に成立しているとして、Xさんの請求を棄却しました。

退職勧奨について、退職勧奨の回数・期間、具体的な言動、勧奨を行う人数、退職条件の適正さ等に気を付け、具体的且つ丁寧に説明・説得活動を行う必要がある点に注意が必要です。

弁護士 小熊 克暢(おぐま かつのぶ)

札幌弁護士会所属。
2020年弁護士登録、同年PLAZA総合法律事務所入所。北海道出身。

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