ベル食品(株)常務取締役 藤田晃幸氏(左)
北海道のソウルフードを原点に、
全国へ、そして世界へおいしさを届ける
関上 社歴がありますね。
藤田 当社は創業が1947(昭和22)年。おかげさまで70年を超えました。従業員数は約200人。売上高は47億円ほどの食品メーカーです。「成吉思汗(ジンギスカン)のたれ」を始めとして、ラーメンスープといった調味料製造がメイン。近年はスープカレーといった商品も定着してきました。家庭用・業務用・一食用と分けていますが、売上げの比率からいうと企業向けの商品の方が多いです。
関上 社名の「ベル」はどのような由来ですか?
藤田 諸説あるんです(笑)。一番それらしい説としては、当社の創業メンバー、北大の農学部(農芸化学)を出た人たちがその知識を活かそうと「北共化学」という会社を設立しました。当社の前身にあたります。北大の校内に当時、時計台がありました。札幌時計台は北大の前身にあたる札幌農学校の演武場。自分たちが学んだ大学のシンボルとして時計台の鐘ということで、ベル。社名にして心のささえにしていこうという意味合いで、ベルという名前をつけたという話があります。別な説として、当時、当社の主力商品はラムネやサイダーだったのです。終戦後だったこともあり、人工甘味料をつくって地元に貢献していこうと。たまたまその飲料水を入れる再利用のビンにフランスで「belle」と書かれていたとか。そのビンに書かれていたのが、ベル。フランス語で「美しい」という意味でしょうか。そこで、ベルを社名にしたという話もあります。
関上 ベルさんイコール「ジンたれ」ですよね。
藤田 成吉思汗のたれ、通称ジンたれは1956(昭和31)年の発売です。最初の製品であるラムネとか甘い飲み物は売れましたが暑い夏のものでしかありません。食生活の中で主力になるものに力を注ぎたいと考えていました。当時、戦争に備えて軍服をつくるために国策として羊が飼育されていました。加えて、食糧難という時代。毛を刈り取られた老羊は、匂いは強いし固いし。それを少しでもおいしく食べるにはどうしたものかと。「専用のたれがあればいいよね」と。こんないきさつでジンギスカンのたれを開発したと伝えられています。
関上 へえ、そうなんですか。
藤田 当時、当社がある札幌の方は肉を焼いてタレをつけて食べるようになりました。滝川の方は肉のくさみを取るためにタレに漬け込んでから焼いて食べるようになりました。2つの方式が生まれていったのです。こういった食文化の歴史がいまでもずっとつづいているのです。
関上 缶のタイプをカタログに見つけて、なつかしなあ〜と。我が家ではビンじゃないタイプを持って行って外で使いましたね。キャンプに行く時もこの缶を持っていきました。
藤田 ひょっとして関上さんは釧路・根室の出身ですか? その商品は実は、道東だけでしか販売していないのです。道東の主力産業は漁業。遠洋漁業が多いので、長期間にわたって船の上で生活をします。漁師さんたちも船上で時に焼肉を食べたいのです。船に積んで持っていくために缶の仕様にしたのです。ビンだと割れるおそれがあるからです。缶とビンの成吉思汗のたれ。中身は同じなのですが、ビンのものは「味がちがう!」と。道東ではビンは受け入れられなかった(笑)。だから、今でも缶なのです。道東の人は陸に上がっても、缶のたれをお使いいただいています。
関上 わたしの祖母が焼肉店をやっていた時、ベルさんのラーメンスープの素を使っていました。めちゃくちゃおいしくて、思い出に残っています。
藤田 日本で最初に家庭向けのラーメンスープを発売したのは当社なのです。ラーメンスープ「華味(かみ)」ができたのが1954(昭和29)年。その当時、ラーメンは外食で食べるもの。家庭でつくるという文化がなかった。「食生活に貢献する」という当社の理念の中で、「手軽に自宅でも子どもたちがラーメンを食べられるように」と、家庭向けの商品をつくったのです。
関上 どのくらいの種類をつくっているのですか?
藤田 レシピ的にいうと現在、1,200種類ほどの製品をつくっています。自社プランドだけではなく、他社の名前で出ているプライベートブランドもあります。製麺会社のラーメン製品の中に付いているスープには、当社製のスープがつけられているものもあります。この数がものすごく多いのです。
関上 社内的にはどの部門が強みですか?
藤田 メーカーですから自社で製品開発をしていかければならないという意味では開発に力を入れています。製品開発には2つのパターンがあります。ひとつは、ナショナルブランドの場合ですが、営業と開発が毎月会議をしていきながら、市場のニーズに沿ったものを生み出していくパターン。プライベートプランドの場合では、得意先である食品会社などからの要望があり、それを形にしていくというパターンです。試作品だと年間何百種類とつくり、その内工場のラインに乗るのは100種類弱。その中でロングセラーになるのはもっと少ないのが現実です。毎年、新しいものを出していかなければ、消費者はもちろん小売店や問屋さんといった販売先にも、市場にも飽きられてしまいます。メーカーは新製品をつくり続けないと小売店のタナからなくなってしまう運命にあるのです。
関上 新商品開発のポイントには、どんなことがありますか?
藤田 「なになにのたれ」というようにわかりやすいラベルにしておくことが、消費者に用途をイメージしやすくする一つの要素です。具体的な料理名というか、使用が連想できる商品名をつけたもの。そうしておかなければ、売る方・店舗でもどこに並べればいいのかわからなくなる。しかし一方で、あまり限定しすぎると、ほかの用途・メニューに使われなくなるのです。売り上げが拡大していかない。このあたりのバランスがむずかしいですね。
関上 当事務所とはどのような始まりでしたか?
藤田 もともとは当社の現会長がJCなどで太田弁護士と一緒だったことからお付き合いが始まりました。契約書のチェックやお客さまとのトラブルがあった場合に「リスクヘッジとして専門家のアドバイスをもらったほうがいい」ということで顧問契約をしています。だから、もう何十年になりますね。現在の担当弁護士さんも、スピーディに対応してくれています。メールを送るとすぐに返事がいただける。定款とか丁寧にチェックしていただいて、ほんと助かっています。あとは労務関係です。今、大変ですね。法律も大きく変わりました。なかなかスパッと割り切れない部分もあり、グレーゾーンにどう対応していくか。頭が痛いところです。
関上 海外にも進出しましたね。
藤田 2013(平成25)年、ベトナムに進出しました。国内人口減の市場環境下、企業の発展を考えて決断しました。海外といっても、どこの市場に打って出ればいいのか。日本の調味料メーカーが少ないところ。発展途上で、先発できる国という観点で、市場性や食文化などを勘案して決めました。出荷しているのは、焼肉のたれやめんつゆなどが中心です。日本企業も多数進出していることや、日本食ブームもあり少しずつですが順調に推移しています。
関上 ベトナム進出に際しては、当事務所でもいろんな契約書関係のチェックを担当させていただきました。海外の法律は日本のものとは違うので、少々難儀しながら慎重に進めています。われわれとしても勉強しながら対応しています。ところで、経営面での課題はどんなことがありますか?
藤田 一番大きな課題は、いろいろなコストの高騰があります。人件費や運送料。安心安全の要求も高くなってきているので、管理コストもかかる。大手でプライスリーダーのメーカーさんは価格に転嫁できますが、当社のような企業規模ではできない。難しいところです。
関上 今後の展望をお聞かせください。
藤田 当社は、北海道のソウルフードメイカーを標榜しています。他社との差別化という意味では、やっぱり「北海道のメーカー」ということを切り口にしていくことだと思っています。北海道は本州の人も海外の人も、「おいしい食べ物がたくさんあるエリア」という認識があります。北海道産の食材を加工したり、原料にも道産のものを使用するなどしています。今後も、これまで以上に、製品開発に力を入れていきたい。手軽に買っていただける価格帯で、日常的に使ってもらえる商品と、当社がトップブランドとなる商品を開発し提供していきたいと思っています。昨年から販路が広がっている商品として「だし」があります。道産の根コンブをつかったもの。昆布だしとして、どんな料理にも使ってもらえます。今後の広がりを期待しているところです。
関上 本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。今後もひきつづき、よろしくお願いいたします。
(本文敬称略)