第43回は、「アイ・ディ・エイチ事件」です。
本件では、在宅勤務者に対する出社命令の有効性が争われました。
1 事案の概要
Xさんは、ITソフトの開発等を行っている㈱アイ・ディ・エイチ(以下「会社」といいます。)へ、在宅勤務を前提として入社しました。
しかし、Xさんは、入社1年後に、社内のチャットツール上で「近時の会社の業績悪化は、○○上司のせいだ。」などといった投稿をしたことがきっかけで、会社から懲戒処分(降格処分)を受け、同時に、出勤命令も下されました。
Xさんは、子育て中で出社が困難であったため、出勤を要する就業を履践することはできませんでした。
そこで、Xさんは、会社に対し、上記懲戒処分及び出勤命令は相当性を欠いた違法なものであると主張して、就業義務を履践できなかったのは「会社の責めに帰すべき事由」によるもの(民法536条2項)であるから、当該期間の賃金は全額支払われるべきであると主張して訴訟を提起しました。
2 企業の指揮命令権、ノーワーク・ノーペイの原則
(1)企業の指揮命令権
企業は、従業員に対して、広範な指揮命令権を有しており、従業員の勤務場所の決定についても例外ではありません。
もっとも、在宅勤務を前提として採用をしておきながら、在宅勤務を要する状況にある従業員などに対して、特段の業務上の必要性もなく、稼働状況を監督するという目的のためだけに出社命令を課すようなことは、指揮命令権の濫用として無効となります。
(2)ノーワーク・ノーペイの原則
雇用契約期間内であっても、現実に就労義務を果たさなければ、賃金請求権は発生しないのが原則です(講学上は、「ノーワーク・ノーペイの原則」と呼ばれています。)。
もっとも、労働者が就労できなかった原因が、「会社側の責めに帰すべき事由」によるものである場合には、例外的に、現実の就労の有無にかかわらず、労働者の会社に対する賃金請求権が発生します((民法536条2項))。
3 本裁判所の判示
本件で、裁判所は、概要、以下のように判示して、Xの賃金請求権を認めました。
①雇用契約締結後、Xさんが本社に出社をしたのは、契約直後の1回のみであり、それ以外は、常時在宅勤務であったこと。
②Xさんがチャット上で行った投稿の内容については、個人名を投稿された対象者(上司)の心理面をいささか傷つけたものであることは否定できないが、Xさんの在宅勤務の態度(怠ることなく勤務を行っているか)について監督をすべき必要性を直ちに生じさせるものとまでは言えないこと。
③他方、Xさんは、子供を保育園へ送迎する必要があり、また、Xさんの自宅から会社までは片道2時間程度の時間を要するものであったこと。
④以上を考慮すると、本件では、在宅勤務を原則とし、業務上特段の必要性がある場合にのみ出社命令を課すことのできる勤務条件であったと解するのが相当である。そして、上記のとおり、Xさんを現実に出社させる必要性は乏しかった一方で、出社によるXさんの不利益は大きいものであったことを踏まえると、本件出社命令は、相当性を欠いたものとして無効である。
⑤そうすると、本件で、Xさんが就労義務を果たせなかったのは、無効な本件出社命令を出した「会社の責めに帰すべき事由」が原因であると言えるから、Xさんの現実の就労の有無にかかわらず、賃金請求権は認められる。
4 おわりに
今回もお目通しいただき、ありがとうございました。
コロナ渦では当たり前となっていた在宅勤務も、新型コロナウイルスの5類感染症への移行に伴い、徐々に少なくなってきているように思われます。
そのような中、在宅勤務の廃止や、出社命令を検討している会社様も多くいらっしゃることと存じますが、企業の指揮命令権も無制限ではないことにご留意いただき、働きやすい効率的な勤務環境を整備していただけましたら幸いです。
弁護士 白石 義拓(しらいし よしひろ)
第二東京弁護士会所属。
2022年弁護士登録、同年PLAZA総合法律事務所入所。栃木県出身。