第51回は、「大成建設事件」(東京地裁令4.4.20判決、労働判例1295号73頁)です。
本件では、会社からの費用補助を受けて海外留学に行った直後に退職をした従業員に対する、会社からの留学補助費用の返還請求の可否が問題になりました。
1 事案の概要
平成21年に大成建設に入社したXさんは、平成30年6月、社内の留学補助制度を利用して、およそ1000万円の留学費用補助を受けて、令和2年4月まで海外留学をしました(新型コロナウイルスの影響もあり、当初の予定よりも長くなりました)。
しかしその直後である令和2年6月に、Xさんは、大成建設を退職しました。
大成建設の社内規定では、留学後5年以内に退職をした場合には、留学補助費用の全額を返還しなければならないと定められていたので、大成建設は、Xさんの退職金と留学補助費用相当額の返還金を相殺し、Xさんに対し、退職金を支払いませんでした。
そうしたところ、Xさんが、大成建設に対し、退職金の支払いを求めて提訴しました。
2 労働基準法の定め
一般的に、従業員は、会社に対して従属的地位にあり、自由に意見を主張できない立場にあります。
そのため、労働基準法上は、従業員保護のために特別な規定を定められており(労働基準法16条、17条)、例えば、「社内の規定に違反した場合には、○○円の違約金を支払います。」というような内容の合意書が会社と従業員との間で締結されていたとしても、当該合意書が有効なものとして扱われるためには、従業員が真意に合意をしていたことを会社が立証することが必要になります。
本件では、「留学後5年間勤務をしなかった場合は、留学費用の全額を返還する義務を負う。」という内容が記載された合意書に署名をしていたXさんが、この合意は真意に基づくものではなかったとし、留学費用の返還義務は負っていないと主張しました。
3 本裁判所の判断
本裁判所は、以下の事実を指摘して、大成建設とXさんとの返還合意書は真意に基づくものと認められるのであるから、Xさんは留学補助費用の1000万円の返還義務を負うと判示しました。
①本人の希望:大成建設では、全社員を留学させる制度とはなっておらず、あくまで本人が希望した場合に、会社からの留学費用補助を受けて留学する制度になっていること。
②留学によるメリット:留学により得られる経験は、Xさんのスキルアップを通じて、海外事業展開をしている大成建設にも間接的にもたらされることにはなるが、その大半は、Xさんの語学力、コミュニケーション能力、文化的素養等の属人的なスキルの向上につながるものであること。
③返還義務に関する説明:本件では、社内イントラネット等においても、「留学後5年以内に退職をした場合には、留学補助費用全額の返還義務が生じること」が十分に周知されていたのであるから、Xさんも返還義務に関する認識は有していたものと認められる。
④期間:返還免除を受ける5年の間は、会社への勤務を求められることになるが、留学補助費用の金額等も考慮すると、不当に長期間に及ぶ制限とは言えない。
4 おわりに
今回もお目通しいただき、ありがとうございました。
資格取得費用の補助等の従業員への貸し付けに際して、「2年間勤務することを条件する」というような制限を課している会社様は多くいらっしゃるかと思いますが、労働基準法16条、17条の規定による制約を避けることはできません。
返してもらえると思っていたのに、という事態を避けるためにも、合意書を作成する時点で、事前にご相談をいただけましたら幸いです。
弁護士 白石 義拓(しらいし よしひろ)
第二東京弁護士会所属。
2022年弁護士登録、同年PLAZA総合法律事務所入所。栃木県出身。